いわゆる梅雨の走りからこっち、そのまま長雨が続くかと思いきや。
からり、汗ばむほど晴れ返ったり、
そうかと思や、
暑いからと肌脱ぎになるのを狙ってか、
少々心許なくも肌寒いほどの風が吹いて来たり。
陽が落ちてからは殊に、
柳や桜の枝先、日増しに色濃くなるその若葉の香を乗せて、
尚のこと鮮やかな存在表す緑風が、
髪を上げてのあらわにしたうなじを、耳朶をくすぐり、
肌にほのかに滲んだ汗、ぬぐうよに吹きゆきて。
少し伏せたる横顔の、
細い顎へと降りる、おとがいの線の儚さへ、
さわ…と吹き抜けた涼風が揺らした、
スズカケの葉の陰が落ちる。
暮れつつある黄昏どきの、
ほのかに宵の気配をはらんだ風の中。
都大路のにぎわいからも程遠き、
場末も場末、人家とてない荒れた川畔は、
もはや人の気配も寄り付かぬ頃合いのはずだのに。
まといし絹さえはじらむほどに、
頬や手元の肌目も真白き貴人の姿。
これは極上の馳走じゃあないか、
供も連れずに道に迷いでもしたらしいと、
温気も濃くて蒸し暑い、
川の傍から沸き立った薄暗い影らが、
ゆらりゆたりと曖昧だったその身を起こす。
《 吾は腕を。》
《 吾は首を。》
《 ならば吾は、胴をもらう。》
もぞりもぞりと泥の泡立ちのような声がして、
ひたひたと近づいた陰気な気配。
ただの人には気づけぬ香だが、
「…勝手を言うんじゃねぇよ。」
ぼそり、伸びやかな声が低く響いた次の刹那には、
―― かしゅっか・どしゅっ、と
風を切るよな鋭い唸りに撒かれた堅い音と、
それを叩きつけられた何かが、
鈍い音立てて潰されたような音がして。
《 …え。》
《 う…?》
悲鳴を上げる暇もないどころじゃあない、
自身に何が起きたかも判っていないまま。
その影を構成する身が ほろほろほどけ、
川に戻ることさえかなわず、蒸散してゆく。
「別にオトリなんて要らねぇぞ。」
白皙の貴公子様へ、どこからともなく掛けられた声があり。
その不服そうな声音へだろう、
白い直衣へ淡い水色の小袖を重ねた、
品のいい姿の青年が、
くくっと口許歪ませて、皮肉っぽく笑って見せる。
「無駄に埃を立てての、汗をかく必要もなかろうよ。」
怪しまれぬようにとの計らいか、
金の髪を取り込んだ烏帽子を鬱陶しいと外しての、
声の主へと振り返ったのは、
当代随一との噂も高い、
都を邪妖から護りし、うら若き陰陽の術師殿。
それなりの道理や学問を修めた上で、
陰の気が寄らぬようにとまじないをする…というのは、
あくまでも表向きの仕事。
物の怪の妖しき気配を嗅ぎとって、
人への害なす邪妖を物理的に封印滅する血統も実はおり。
そういった血統ではないながら、
邪妖への抵抗力、殊更冴えた彼などは。
権力争いだの派閥同士の険突き合いだの、
ややこしいしがらみにも関わりなしという身なのを買われてか、
専門職の頭目、神祗官殿からさえ一目置かれておいでの、
変わり種さん だけれども…。
「よう気がついたものよな。」
たった今、精霊刀にて粉砕した邪妖らは、
瘴気もさほど立てずにおった脆弱な輩だぞと。
骨組みもしっかとした頼もしい手にて、
その大太刀を鞘に収めつつ怪訝そうに口にした、
黒の侍従こと、葉柱の言いようへ、
「なに、個々には脆弱でもな、
童や年寄りには恐ろしい連中だったらしいのでな。」
まださほど気心の固まらぬ幼子や、
逆に、先行きが心許ない老体へ、
その夢枕に現れては、こちらへ来よとの誘いを掛けてた。
何のお告げか知らないが、従うまで続くしつこさを恐れ、
様子見にと訪のうた人々を、
数で囲んでの人知れず喰ろうておったらしいので。
「お前のような剛力者ほど、気づけぬのだから因果なものよの。」
これだから大雑把な輩はと、
心ないこと上げつらうような言いようをする蛭魔だったが、
“自分の方がよっぽど大雑把だろうにな。”
毎朝顔を洗うている大鉢へ水を張り、
湯がいた蕎麦がきを冷ましての、
掻っ食らうことも辞さぬよな奴には言われとうないなぁと、
胸の裡(うち)にて思うた蜥蜴の総帥だったけれど。
「………ん。」
得物の太刀を宙へと溶かして追いやり、
戦闘の覇気をなだめた葉柱だと見るや、
こちらの狩衣の衿元掴み、
くんくんと引いて“もそっと寄れ”と示す素振りは、
成程、大胆とか大雑把とかとは 対極の態度に他ならず。
「……なんだ。/////////」
「いや、別に…。」
川からの水の匂いが濃くなったなと思うてなと。
苦笑の理由を誤魔化せば、
「何だ、お前の鼻もあてにはならぬな。」
あんな邪妖がおったくらいだ、この辺りの流れは淀みがちであったのが、
先の雨にて流れもはけてか、
今日は新(さら)なる水の 清い匂いしかしておらぬに、と。
少し見上げる格好になる相手の鼻を、
細い指にてむぎゅと摘まんでやったそのついで。
宵の涼風が後れ毛をそよがす悪戯に、目許を細めた術師の青年。
間近になった懐ろへ、ぱふりと自分のほお埋めて。
……どうした?
うっさいな、験(げん)直しだ。
あんな連中に取り囲まれかけたんだ、気も悪くなろうさと。
だが、それを祓いたいから…と続けなんだは、
人に頼るのを厭う彼の、最低限の強がりか。
涼やかな風には仄かな草の香りと、
川水の匂いか、それとも雨の気配の先触れだろか、
水を思わす気の香も色濃く。
間近な長雨と、そのすぐあとに控える夏へと想いを馳せる、
陰陽術師の主従二人の傍らを、
気の早いツバメがヒラリと舞った宵の口……。
〜Fine〜 11.06.09.
*いやぁ、照ると暑いですよね。
そうかといって、すっかりと夏の服って訳にも行かない、
雨になるとまだ少し肌寒いのが何ともはやです。
めーるふぉーむvv

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